2016年2月10日水曜日

私とあなた、二人合わせて四つの瞳

SHIROBAKO見る度に大きなうなずきを繰り返すここあです。こんばんは。
お正月の一挙放送から冬クールにかけてBS11で再放送中なのを追っかけています。
今日見たのは打ち合わせ回。
何たる偶然か、本日は我々サークルちょこれいつも打ち合わせの日でございました。

お互いの仕事の範疇がイラスト・漫画・設定という点でかぶるので、なにかとすり合わせる部分が多いのが常なのですが、今回はそういうすれ違いや作業のお話ではなく、編集について書いてみたいと思います。

最初に、私は素人です。
ですから編集を生業とする方々には及びませんし、そもそもやっていることが間違っているかもしれません。

まず、創作する脳みそについて少しだけ。
人生経験とその刺激が想像力に結び付くと、創作対象を考え始めるインプット状態になりますね。
それを脳の外に出していく作業がアウトプットです。
教育にも言えることですが、この、イン/アウトの繰り返しで情報は定着し、整理されていきます。

インプットばかりだと、混然としてくる情報を整理するために何かしらのアウトプットは必要です。
これも私の常とう句ですが、人によって違いますから、声だったり、文字だったり、絵だったりするでしょう。
私は文字ですが、相方のしろたんこと白城ちょこほは声でした。
私たちの打ち合わせは対面がよいようです。

さて、実際に私がしたことを書いてみましょう。
それは、ただの質疑応答です。
私は、迷走とは「答えは本人の中にあっても悩みに埋もれて見つけられない」状態であるという認識をしています。
「気持ちばかりが急いて」いるところに、論理は求められないものです。それはもちろん、自分にも該当します。
こういった迷走時に必要なのは、「積極的な聴き手」であるといえます。
ちょっぴり心理学的なアプローチ。
「積極的」というのは、相槌を繰り返すだけでなく、相手の発言をオウム返しにして問い、話を確認しながら聴くという姿勢から来ています。
「へー。そうなんだー。ふーん」は、それに値しないただの聞き手です。
優れた聴き手は相手からどんどん話題を引き出せるといいますしね。

さて、今日は、色々質問しました。
どうして漫画を描きたいのか。
主人公は物語以前にどんな生き方をしてきたのか。
主人公の動機は何なのか。
ヒロインの境遇は。
主人公サイドの意図を邪魔する存在は。
社会的情勢は。

尋ねながら、情報を追加しながら、板書のように落書き帳を黒く染めてゆきました。
私は優れた聴き手ではないので、途中で思いついた流れを話してしまうこともあります。
口ははさみますが、それは話の流れから推察した限りの自然な成り行きを想像してのことです。つもりっこ。
もちろん発言に上手くいく確証はありませんから、すぐ訂正したりも。
生命の維持のためお腹がすいて、それが苦痛なのは生きるためで、生きるために食べ物を求める。
そういう風に、事象には理由がはらむことを強く推して、骨を何本か突き刺すこともあります。

これは、数学の口頭試問のように、解法を知り尽くしていることを証明するための質疑応答ではありません。
自らの考えを口にしてもらって、思考の隙間を見つける作業なのです。
悩みというのは同じこと、同じ感情の停滞したループですから、そこから抜け出すには他者の目が必要なのです。
落ち込みうつむいているときに、肩に手を置かれる、そういうイメージでしょうか。
鏡に向かって自問自答を続けると精神が病むと聴きますが、それを脳内で行い続けるのは濃く過ぎる話です。
世界は同じでも、視界が異なればかたや光、かたや闇と見え方が全く異なります。
自分の両の目でも見ているものがずれていますが、かといって耳の裏が見えるわけではないでしょう。

質疑応答で情報が整理されていくと、おのずと必要なものが見えてきます。
整然とした考えで満ちた頭は、すっきりと風通しがよく涼しく感じられます。
目の奥が、すん、と冴えた感覚です。
これは、集中の予兆。

とりあえず、「あ、ほこりついてるよ」の調子で、相方としての務めを果たしてまいりたいです。

まとめ


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