2015年3月29日日曜日

被ってないんですよ

食欲も盛り上がる春、お元気ですか。ここあです。
これまでのブログ、実は同じもタイトルは無いのですよ>タイトル回収
中身はいつも通りのどうでもよい日記ですけれどね。

先日、ガチの黒歴史を新聞に紛れこませた私ですが、それらは今日と言う良き日に、町内会の皆さんが回収してくださいましたよ。
それを業者に売り払って得た銭は皆さんの飲み食い代になるんです。
要らない物を集めてくれて、その上お駄賃も払わず。うぃんうぃん。

しかしながら、過去の自分が残してくれたものには感謝をしなくてはならない場面もあります。
主に資料なんですけどね。

修士論文を書く事が決まった、院1の春。
私は図書館司書さんたちの仕事を増やしまくりました。
複写依頼です。
論文に関するホットワードから、言語を問わずあちこち古代の楽器の資料を探しました。
結局、この時に考えていた論文のテーマは個人的に没にしたので、使わずじまいですが……。
それでも、ライフワークに近い課題を自身に提示できたので、これは大事な資料群です。
その後テーマの変更からも怒涛の資料集めを行って、「これだけあれば帰ってきて目を通してさくっと論文が書ける」という状況にしてからフィンランドに向かいました。
留学中は何を血迷ったか執筆を始めますし。
それでも、帰ってきて資料が出迎えてくれるのは本当にありがたかったです。
情報をまとめて成文化するのにも時間はかかることですが、資料だけは人の手と物流が関わる手前、時間がもっとかかるのです。
偉かったぞ、22歳の私。


で、今の私が感謝しているのは、25歳の私に対してです。
論文を書く際、移動の電車の中でずっと覚書をノートに書くようにしていたのですが、小説執筆の際にもそれが移行され、個人的な設定資料集ができているのです、なう。
大体300ページくらいあるっぽいです。
2リングノートにファイリングしているのですが足りなくて、もう一冊買いたさなくてはならないのです。
ちなみに、うち50ページが五線紙と歌詞です。
大学ノートの使い方ですので表のみ使用しております。
ソートとサーチがしやすいのです。おすすめ。

『黒獅子物語』本編をご覧になっている方にはお分かりいただけるかと思うのですが、
神話と民族とが絡まり合うハイファンタジィ故に、固有名詞が多く存在します。
基本的に、造語ではありません。
現存する言語からの引用であって、その意味を予めご存知であるならば謎解きに一歩リードできる程度です。
Der Junge Alleinとかunder the rosesとかね。
また、本人がヒストリアンでライブラリアン(この場合愛好家の意味です)であるがゆえに、作中作品が多く登場いたします。これもわりと、ヒントになっています。
奥行きがあるといえばあり、設定が細かすぎると言えばそうなのかもしれません。
しかし実際、この世界にもあらゆる情報がひしめいていますから、多層性があることで、よりその世界、社会の実在感が増すのではないかと思っております。
全てを表さずとも存在があると言うことで、見知らぬ人間の存在を示唆し、そこに生きている/生きていた証明にもなると考えているのです。
そう言った意味で、本や楽譜などの著作は、どんなものであれ文化的遺産として触れるべきなのです。
自分の創ったものは、恥ずかしくて遺棄したくなることもあります。
ですが、その時真剣に作り上げたものを捨てると言うのはもったいない事。
捨てるに値しない作品を、恥ずかしくない作品をつくっていけるといいなあと思います。


さてさて、あらいやだ、多層性なんて。一年ぶりにこの言葉を使った気がします。
多層性のある音、と音楽家、武満徹は言っていました。
それは、ピュアな音程以外にも、音の中にはあらゆる情報、聞きとるべきノイズのようなものが含まれていて、それがその音自身の個性だということです。

文字に例えるならば、ワープロ文字は美しく読みやすい、人々の理想とする文字の形、行間、字間をとります。
ですが、それで果たして書き手の人格を読みとるのに十分な情報があるかと言うと、そうではありませんよね。
流す癖、苦手な文字、文字同士の感覚。
その中に溢れる妄想の余地と言ったら、一日の終りの湯船みたく暖かく広がるものであります。
ですので私は、多少不格好でも、お手紙は必ず手書きにしております。

想像を羽ばたかせるというのは、人間独自の娯楽であります。
脳味噌が大きいからこその祝福であり、呪いでもありますね。
自由な想像は、形の無い雲のよう。
だから、私は形にします。
ということで、今は資料を作っています。
このノート群の上でボールペンが幾つも倒れていったのを、私は忘れません。

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